daysofteaandmusicの日記

イギリス博士留学体験記(人文系・音楽学)

イギリス博士の第一の関門・アップグレード試験

アップグレード試験を終えた。

 

アップグレード(PhD Upgrade Viva)は、イギリスで博士号を取る際にまず立ちはだかる関門だ。基本的には、研究計画などを提出し、在学期間中にきちんと博論を書き上げることが出来るかを見極めるための試験である。

 

これに合格して初めて、博士論文のための調査と執筆を行うことができる(実際的には以前に調査を開始しているかもしれないが)。恐ろしいのは、逆にこれをパスしなければ博論を提出することはできないことだ。論文を書いたとしてもMphilという修士号にあたる学位しか得られなくなる(その期限は、自分の学校の場合、フルタイム学生では基本24か月)。

 

今回試験を受けた2023年1月は17か月目にあたる。自分の学校ではフルタイムでは「18か月目以降」を目安にアップグレードを受けることが推奨されているので、ほぼ平均的な進捗といったところだろう。

 

試験内容(提出物)

試験は提出物と面接での質疑応答によって構成されている。

 

①提出物

提出したのは、「博論の要約と章立て、および、調査・執筆計画」、「先行文献レビュー(5000 words)」、「サンプルチャプター(7500 words)」。

基本的にはそれぞれ一か月から二か月くらいかけて準備した。といっても入学した直後から文献レビューは行っていたし、こまめに論考を書いて指導してもらっており、それらを部分的に今回の提出物にコピペしたりしたので、実質的には入学以来、一年半かけて準備してきた、と言った方が正しい。

 

脱線してしまうが、研究計画を練るうえでは、ちょいちょい書いていた奨学金助成金への申請書がとても役に立った。そうした書類は、簡潔に内容をまとめつつ、必ずしも自分の研究分野に明るくない人に対して、わかりやすく、かつ、内容が「面白い」と思ってもらえるように書く必要がある。このプロセスを経て、かなり、研究テーマと目的がまとまった。多分業績バリバリの方々は(優秀だということはあるだろうけれど)こういうフィードバックループのような経験が活きているのだと思う。というわけで、もっと助成金とかには忙しくても積極的にチャレンジしていきたいと思った。

 

②面接

これらの提出物をもとに二人の審査員との面接(質疑応答)が行われる。これもおそらく大学・専攻によって異なるが、自分の場合は二人とも、学内の音楽部所属の教員であった。

 

先述の通り、研究遂行能力の審査なので、問題設定、方法論、先行研究への位置づけ、主張が論理的であるかどうかが主な焦点となる。

 

基本的な流れとしては、まず、研究の概要を端的に口頭で説明する(ちなみに提出した資料は持ち込める)。その後、それぞれの提出物について、質疑が行われる。

 

こうした性質上、この試験は博論を書くための能力を見る試験であると同時に、博論提出後の審査(ディフェンス)の予行練習的な意味も兼ねている。その意味では、それぞれの提出物の弱点や問題点について、適切なコメント(それらをいわば正当化するような)をすることが求められる。

 

面接を終えての感想

時間をかけ、指導教官との面談も十分に重ねた上で挑んだので、提出物のクオリティーはそれなりに高いものにすることが出来たが、それよりも面接官の先生方がサポーティブだったので何とかなったという印象であった(緊張し言葉が詰まった際に、「私たちはあなたの論文執筆をサポートするために来ている。だからリラックスしなさい。」という言葉をかけていただいた)。博論審査と同等の厳しさであったら通過しなかったかもしれない(もっとも、その場合、むしろ通過する学生の方が少数であるだろうが)。

 

指摘された内容について詳細は省くが、一番自分にとって重要だと思ったことは、「読者を考える」ということだった。

 

修士で今の大学に来てからずっと「誰にでもわかるように書け」と言われてきて、ずっと心掛けていて、そのために今回も下書きを何度も内容面、表現面の両方で推敲したけれど、まだ足りなかった。

 

今回の論文では日本の事例も扱ったのだが、例えば「昭和」という単語一つとってみても、その表現が絡む政治的な文脈やその問題、また、そこに日本人が想起するものなど、自分にとっては当たり前すぎて、もはや無意識の領域にあるようなものが、いかに、文脈を共有しない読み手に取って理解を妨げるものであったかということが今回指摘され改めて実感した。

 

もちろんそうしたこと(つまり、どういう読者をターゲットにして、自分と読者が何を共有していて、何を共有していないか)を考えるのは、調査を終えて、それをもとに文章を「書く」という段階だから最初に気にすべきことではないのかもしれないが、物を「調べる」という段階から、何を無意識に、当たり前に捉えているか、ということにもっと注意を払わなければならないと思った。

 

また、それと関連し、言葉のチョイスが時に曖昧であることも指摘された。これは英語力(特にイディオムの理解)とも関連するので、必ずしも自力だけで乗り越えられる問題ではないかもしれないが(そのために文章校正の相談ができる無料サービスが学内にあることを今回初めて知った)、書くべきことをより明確にすることで大部分を克服、または少なくとも改善は可能だろう。時間だけが問題になるだろうが。

 

というわけで、いよいよ「イギリス文系博士への道~第二章(論文執筆編)」に進みます。

サンデーローストのこと

最近、よく一人で外食するようになった。

 

理由は、料理がめんどくさい、というのはもちろんなのだが、イギリス飯も意外においしいということに気づいたのも大きい(ちなみに日本基準だとかなり高い。慣れてしまったが。)。

 

日本人がよくイギリス飯がまずいと言うのは、まず、日本の食が恵まれすぎている、というのはあるけれど、そもそも料理に対するスタンスが違うというのもある。

 

イギリス飯は基本とにかくシンプル。素材の味を活かす、というレベルを超えて、素材自体を味わうという感じに近いかもしれない。

味付けは薄目。足りない場合は自分で塩コショウなり、ケチャップなりつけてね、という感じになる。

(自分が行かないような高級な店では事情は違うかもしれないがわからない)

 

その典型がフィッシュアンドチップス。

イギリスを代表するイギリス飯のように語られるが、実際は衣をつけて揚げた魚と挙げた芋で、味も揚げた魚と芋そのままの味だ。塩はあらかじめ振ってあるが、お酢、ケチャップ、タルタルなど、味付けは自分でする。

 

でもシンプルだからと言ってまずいかというと、美味しい。最高級の魚であるとかそういうことはないのだが、普通においしい。

 

そして最近、外食をよくするようになったのは(これがメインの話なのだが)シンプルゆえに、店によっていろいろなバリエーションがあることに気づき、それを探求したくなったからだ。

フィッシュアンドチップスについて書いてきたが、今回はサンデーローストについて書く。バリエーションが最も豊富だと思われるからだ。

 

サンデーローストとは、その名の通り、日曜日だけパブやレストランで提供されるロースト料理のことだ。普通は牛肉、豚肉、鶏肉、時に羊、そしてベジタリアン向けのもの(後述)が提供される。メインの他に野菜と、ヨークシャー・プディングというシュークリームの外側みたいなものが付け合わされる。グレイビーソースがかけられている。

 

いくつか食べたものを紹介する。

(オリジナル画像をなくしてしまったのでインスタのスクショ。低画質。)

Old Red Cowという有名なお店。日曜日以外にも提供している。牛。

初めて食べたサンデーロースト。肉肉しくてなかなか噛み切れなかったことと、量がものすごかったことが記憶に残ってる。野菜は蒸し野菜っぽかった。

 

 

これは大学近くのThe Fat Warlusという店。牛。

ソースがとにかく薄味で、塩コショウしまくったのを覚えている。

野菜が美味しかった。サヤインゲンが入っているのが珍しい気がする。

上の店が記憶にあったので、正直、物足りなさを感じた。

 

 

サウスバンクセンター近くのMulberry Bush。鳥。

野菜が少し変わっていて、左の方にみじん切りでネギ的な野菜やら何やらが色々ミックスされている。


これがうまい。鶏肉に乗っけて食べることで飽きずに楽しめた。ネギと鶏の組み合わせは強い。

上の方のニンジンとスクウォシュ?のマッシュも美味しかった。

 

 

これは大学から徒歩30分ほどにあるThe Talbotベジタリアン向け野菜のウェリントン

ウェリントンとはパイ包みのことで、右上にあるやつがそれ。元は牛肉なのだが(めちゃくちゃおいしい。しかしなかなかの高級品でまだ一回しか食べたことない。)、これは野菜になっている。スクウォッシュが基本なのだけどこの店では、それに加えて、きのこ(「マッシュルーム」)、木の実(「チェスナット」)のミックスになっている(括弧付きで書いたものが日本語で言う、どの食材にあたるのか自分の庶民舌では判断できない)。ちなみにスクウォッシュはここではよく料理に使われているが、さわやかなカボチャみたいな味がする。

これはなかなか複雑な味わいで美味しかった。ソースに醤油ぽさも感じた。ロンドンでだったらベジタリアンという選択肢も日本より身近なのかもしれないと思った。

 

以上がこれまで食べたサンデーロースト。

これだけでも基本の型があるのにバリエーションが広いことが伝わると思う。

これからもちょっとずつ紹介したい。

学内の奨学金があるのはいことだけど、めっちゃめんどくさかったという話

ある海外の学会に出るために申し込んでいた学科の奨学金に通った。

(学会の査読結果が出てないので実現するかはまだ分からない)

 

金額としては航空券の片道すら賄えない程度であるが有り難い。

 

しかし、この奨学金の申し込み、結構面倒だった。

 

まず、奨学金の詳細ページにアクセスできずに、大学の技術担当に連絡して調整してもらう必要があった。(この大学では珍しいことではない。残念ながら)

さらに予算を計算する必要があったが、海外に行く場合、旅費は指定の代理店を通さなければならない。そして、この指定の代理店がどこなのか、大学のウェブサイトでは探した限り見つからず、またまた奨学金の担当者に直接聞かなければならなかった。

そしてその代理店もskyscannerなどのようにすぐに検索できるわけでもなく、会員登録をする必要がある。

 

…と、終わってみれば大したことないが、なかなかの煩雑さで途中で投げ出したくなった。

 

 

申請書はまあ普通の感じだったが(プロジェクトの内容、目的、予算など)、ユニークだと思ったのは「このプロジェクトが本学科の存在感をアピールするためにどう貢献しますか?」というもの。

 

おそらくこれに備えて、ウェブサイトには学科のポリシーをまとめたドキュメントもあったので、それを踏まえて、自分の研究がこの学科の伝統の一部であることや学会への参加が国際的ネットワークを広げるために役に立つみたいなことを書いた。

 

自身の研究が所属機関にどう役に立つかという意識は日本の大学(少なくとも出身大学)では希薄のように思えるが、(たとえ建前だとしても)それを支援するための奨学金があるというのはいいことだと思った。

最近のこと(博論進捗状況、IMS2022への参加、英語のこと、ジャズのこと)

はやくもイギリスでの博士の一年目が終わろうとしている。はやい。前回の更新からも時間が経ってしまった。時間が経ちすぎて文体が変わった。「ですます調」で書いていたことを忘れてしまった(後から気づいた。また戻すかもしれない。)

 

 

研究についていえば、最近はアップグレードに向けての準備に注力している。

 

「アップグレード」とは、イギリスの博士課程で博士論文提出のための必要な一種の試験のようなものである。試験といってもアメリカのQualifying Examのようにテストを受けるのではない。どちらかというと日本の中間報告に近いかもしれない。大学によって要求されるものは異なるが、自分の場合は、研究計画、先行文献レビュー、事例研究一章の三点の提出+面接が求められる。

 

今は事例研究の章を書いている。事例研究、と言っても一次文献を扱える能力を示すことが主目的なので、論理的な議論に基づいた何らかの主張を行う必要はない。今回の章では日本の事例を扱うので、日本語を適切に読み・英語で正確に表現することを示せれば良いと考えている。

 

今日はそれについて指導教官との面接に行った。

特に印象に残っているのは、分析結果を文章でどう表現するか?ということを質問したときのことだ。具体的には、ストーリーとして提示するか、あるいは一種の一覧表のような形で表現するか悩んでいた。それに対し、指導教官の答えは、博論の執筆自体が一種の実験の場であるから、書きながら、自分のベストと思う方法を選択すべしというものだった。人によって無責任ともとるかもしれないが、実際、どちらの方法論にも長短あり、また、それ以外の方法も考えられうる現状としては納得の答えだった。博論の章構成についても相談したが、同じような回答であった。ただ、これについては現在の段階では最も「ロジカル」と思える構成にするように勧められた。

そのほかについて、近々する予定のインタビューの質問について相談した。面白いなと思ったのは、「あなたにとって何が一番関心があることですか?」と必ず聞くように勧められたことだ。当たり前すぎて忘れがちな視点だと思った。

 

 

執筆以外に研究に関連するもので言うと、先月はギリシャに行き、国際音楽学学会に参加してきた。参加といっても、発表はせず、発表を聞くだけのために。それだけのために参加費+旅費に10万近く費やすのは馬鹿げているという人もいるだろうが、5年に1回の開催で、自分の専攻分野、かつ、会場が(日本からよりは)近いということで参加した。

聞いた発表の一つ一つに思うことはあるけれど、本人が読まないここに書いても無意味なので書かない。

ただひとつ感想として印象論を書くと、「西洋音楽」の音楽学のアプローチは、民族音楽学ポピュラー音楽学がメインの自分には、少し相いれないように思えた。特に、作曲家が生きている場合でも、作曲家本人に話を聞いたりしない点で。もちろんあえてそうしない理由も想像できる。例えば、作品を作曲家の創造物とみなすことに対する拒否反応とか、批評家的距離感の重要性だとか。でもやはり自分としては作品の作り手の見る世界に関心がある。多分、音楽家になりたかったけど諦めて音楽学の勉強を始めたことにも関係があるのだろう。とにかくこの経験を通じて、そういう「当事者」たちのナラティブをできるだけ意識的に組み込むように努力しようと決意したのだった。

といっても西洋音楽的な批評方法論(?)が嫌いとかではなく、最近はシェーンベルクのエッセイを読んだりしている。大変面白い。

 

 

 

もう一つ、思ったことは英語に関することだ。

さすがにイギリスにもう一年半近く住んでいるし、面談も毎回こなしているので、まあまあ必要な英語力はあると思っていた。

しかし、学会で質問をしてみて気づいた。

通じない。聞き返される。正確な意図が伝わらない。

今回は質問をした相手の発表者たちはみな優しく、発表後に話をさせてもらう機会が得られたが、現実を知れてよい経験だった。

 

 

 

研究以外のこととしては最近はジャズのことを考えている。

ロンドンのジャズシーンを知るためにセッションに行かなくては!と思い立ってリハビリを開始してから1年が経った。

もう15年近く弾いているのにいまだに「ジャズっぽく」アドリブを弾けないと悩んでいたが、結局、根本的な問題は特定のスタイルを何も習得していないということだと今更気づいた。ので最近は特定のスタイルに対象を絞ってひたすらコピーばかりしている(ソニー・クラーク、フィニアス・ニューボーンJr.、大西順子あたり)。ただ、興味が移りすぎて、すぐに違うスタイルのピアニストを勉強したくなるので難しい。キース・ジャレットとか。また、結局のところ、好きな様々なスタイルの中からどれを自分のスタイルとして選んでいくかというずっと先の問題についてまで、無駄に悩んだりしている。ただ採譜してみて、印象論で理解していた部分が、実際のフレーズとして理解されるのは面白い。

強制隔離で必要なものリスト(日本帰国用メモ)

今回、一時帰国での6日間の強制隔離で必要だった/あってよかったと思ったアイテムをリストアップします。

 

事前に情報収集をする中で特に懸念していたのは以下の点、

・洗濯機の使用可否

・インターネット環境

・アメニティの有無

 

また、デリバリーの制限(自分の場合は到着の翌日受け取り)のため、その場で対応するのも難しいので準備が必要と考えました。

事前に対策することである程度、快適な環境を整えることができました(今回割り当てられた施設がかなり設備が整った場所であったこともありますが)。

 

また状況が変わると思うのですが、参考までに記録に残しておきます。

なお、これを書いているのは身の回りに無頓着なインドア大学院生(男)という点をご注意下さい。

 

 

必需品

・日用品(歯ブラシ・歯磨き粉、ひげそり、洗顔、化粧品、場合によってはシャンプーなど)

… ホテルだったので一応は備え付けあり。が、どれも使い捨ての質が悪いものなので、長期間の滞在には向かない。施設によってはシャンプーがない場合(固形石鹸だけの支給)もあり。

 

・洗濯洗剤

…部屋干し可の液体洗剤を持参。ランドリーが使用可能であっても予約が取りづらかったり、そもそもランドリーがない場合もある。湯舟を使ってつけ置きで洗った。面倒ではあるけれど、体を動かす機会がないので、いい運動になる。あと加湿になる。

 

・ハンガー

…洗濯物を干す用。

 

・LANケーブル

WiFiが弱い場合があるらしいので、有線接続用。ただし、今回は備え付けがあった。(部屋にインターネット環境がなく容量制限ありのポケットWiFiで対応される場合もあるらしいけれど、その場合どうしようもない。でもこれは今だけの対応と信じたい)

 

・タオル

…今回は備え付けがあったので使わなかった。

 

ティッシュ

…同上。

 

準必需品

・間食

…食事は人によっては少ないと思う。あと配食が遅れること多々あった。

 

・お茶や粉スープ

…冷えたお弁当だけでは結構つらいと思う。というのも毎回冷たいと想像以上に胃に負担がかかる。ちなみに弁当冷たい問題は、部屋にしばらく弁当を放置するだけでだいぶマシになる。もっと温めたいときはケトルの蒸気で。

 

・サブスク動画や音楽のダウンロード

…インターネット環境によって必要になるかも

 

・マグカップ

…部屋には紙コップしかなかった。

 

・食器用洗剤とスポンジ

…マグカップ

 

・浴室掃除用のスポンジ

 

もしかしたら必要?

・ビタミン剤

…部屋によっては日光が十分ではないのでビタミンDや、野菜が少ない場合もあるのでサプリがあるといいかも。短期間なので効果があるかはわからない。(それにしても日光が一切入らない部屋はひどいと思う。)

 

・胃薬など

…施設によっては揚げ物、油ものばかりのこともあるらしい。あと時差や疲れで胃が不安定になった。

 

・スキンケア用品

…部屋の乾燥と、おそらく時差による自律神経の乱れでニキビがたくさんできた。

 

・スリッパ

面談③

最近、3回目の指導教官面談がありました。

 

ここ2か月くらいずっと先行研究のレビューを書いていたのですが、この日はまずその内容について話しました。

が、基本、先生は「学生には自由にやらせる」+「ほめて伸ばす」という人なので、特に批判などはなく、「this is good」というだけでした。

 

 

この日は、先行研究レビューに続いて、パイロットスタディー(お試しの研究)の計画についても話し合いました。

 

先行研究のレビューを通して、まだまだ読まなければいけない文献があること、もっと詰めなければいけない部分があることには気づいたのですが、

ひたすら文献調査をやっていても意味がないので(なぜなら文献レビューだけでは論文は成り立たないから)、このレビューを提出する際に、パイロットスタディーをやってみたい、と提案していたのです。実際に事例を分析してみたら、何か面白いアイディアが浮かぶと思ったからです。

 

一応事前にレジュメは作っていったのですが、これについても批判は特になく「very good」という感じでした。

 

ちなみにほめるときに「you're very disciplined」と言われたのですが、風刺がきいててイギリス人らしい表現だと思いました。ちゃんと学問に精通しているという意味がある一方で、しつけられているという意味もあるからです。(その意図はあるかわかりませんが)

 

 

批判はなかったのですが、面白いアイディアは提案してくれました。

 

具体的に言えば、それは、AIに言及したときに(直接の研究主題ではない)、なんで、そういうテクノロジーは人間を前提にしているのだろうか?ということでした。

たしかに人工知能っていう定義自体、別に人間でなくてもいいわけだし、それが音楽制作に関連したときにも、別に音楽作りに必要な知性が人間をモデルにする必要がないのだから、面白い問いだと思いました。

 

 

この先生は、「問い」を作るのがうまいです。

研究って、つい、何か好きなことについて、オタク並みに詳しくなることだと思われがちですが(事実そういう人は「強い」と思います)、実際の肝は、価値のある「問い」を立てることから始まるんだろうな、とこの先生と出会った修士のことから考えています。

 

 

そうして面談を無事に終えた後は、大学の目の前にあるトルコ料理屋に入りました。

特に期待せず、目の前にあったから入ったのですが、大当たりでした。

 

店員さんも丁寧で(まあBGMでカラオケしたり、電話で誰かと雑談していたけれどそれくらいのゆるさはよい)、かつ、なにより、安くて多くておいしい。

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前菜がチーズの揚げ物、メインが羊のシシカバブ

これで10ポンド以下でした。

パンは食べきれず夕飯となりました。

 

ロンドンは外食が高いですが、それでも精神衛生上(?)定期的に外で食べるのは必要経費だと思いました。

 

 

指導教官面談2

少し前に2回目の指導教官面談がありました。

 

ここ最近の課題はLiterature reviewを書くことです。なので、この日はその中で言及する予定の論文の要約とそれぞれに対する自分の見解をまとめたメモを持っていきました。

 

そこで言われたことは、「様々な理論に言及しているが、同じところをグルグル回っているように見える。」、「まるで理論の陰に隠れているようだ。もっと自分のポジションを明らかにしなければならない。」ということでした。

 

イギリスで修士論文を書き上げる際のアドバイスとしてよく挙げられているのは、「まず自分の立場を決めてしまい、それを補強、あるいは反証する論文を探す」ということですが(ちなみに唯一の方法ではないです)、ここでも同じようなやり方が求められているようです。

 

このやり方は確かに、1年という短い期間で修論をまとめるためにはとても有効なのですが、自分は「博論」という大きなプロジェクトを前に、少々気構え過ぎていたのかもしれません。

 

しかし、結局脳の容量には限界があり、とにかくまず、仮説的に足場を作る必要があることを考えると、まず、そのようにしてまとまった文章として考えを明らかにすることは不可欠だと思いました。実際に、文章で表現できることには限りがありますが、その制約によって、次に進むための道筋を立てることができるのだと思います。

 

また、やはり英語力の不足を今回の面談で感じたことも事実で、議論だけで、博論を前に進めることは難しく、指導教官との意思疎通のためにも文章で表現することは有効あると思いました。

 

……

 

こうやって書いていくと、あまり日本での研究生活と変わらず、なかなか「留学」日記っぽくならないですね。難しい